江戸時代から伝わる堤人形には、
おひなさまや歌舞伎役者姿などが残っています。
日本人ってフィギュア的な小さなものが好きみたいです。
細部までつくりこむのも、日本人。
筆先が0.3mmほどもすべっただけで、表情はかわるとか。
そんな写実感とデフォルメのバランスがとてもキュートです。
また、堤人形の肌は、かすかに風合いが残るのが特徴。
素朴なマット感の肌がやさしいので、
あの場所、この場所にもすっとなじんでくれますよ。
江戸時代の堤人形
色彩がはげ落ちていますが、
浮世絵を立体化したと言われる作風が
見て取れます。
つつみのおひなっこや蔵
現代×伝統技
つつみのおひなっこや
人形のふるさと堤の町には、江戸の頃
窯元と人形屋が並び、堤人形は愛着をこめて
「おひなっこ」って呼ばれたそうです。
いまは多くが姿を消し、
伝統の工房はわずか2つほど。
そのような歴史のなか「つつみのおひなっこや」は
伝統の技を継承してきました。
受け継がれてきた江戸時代の人形古型を使い、
一方で、自由な感覚で彩色した品々もいい感じ。
いずれも、作り手のやさしさがつたわるような、
そして一本筋のとおった丁寧な愛らしさで
ずっと大事にできそうなオブジェです。
「型抜き」の工程。1つ1つ丁寧に造られていきます。
「窯焚き(素焼き)」をした鯛猫。
「下地造り」が終わって「彩色」を待つ真っ白い鯛猫。
江戸時代から伝わる伝承の技で、1つ1つ手作業で彩色されていきます。
作家紹介
つつみのおひなっこや 佐藤明彦
人形制作を学ぶため京都で京陶人形師に師事、
その後仙台に戻り制作活動をされています。
長く飾れるよう1点1点心を込めて
日々制作されています。
森のふもと。堤焼をつくる足軽たちの冬のしごとで、堤人形はうまれました。
伊達公の城下町を出てすこし。北にむかう道すじにそって茶屋がたちならび、野趣あふれる素朴な陶器「堤焼き(つつみやき)」の日用器をあきなう店が軒をつらねる。町には足軽の副業でもあったいくつもの窯元があって器を焼くけむりが昇る。そんな風景が、江戸の頃の堤町には広がっていました。
その風景は、有名な文芸運動の父・柳宗悦をして、「東北の地を代表する民窯」と言わせたのだそうです。堤町は森がちのなだらなかな丘陵のふもとにあったので、ここで取れる質のいい粘土と薪が陶芸にぴったりだったのです。
堤人形は、土や水が凍って作業ができない冬の手仕事として生まれました。昭和の始めまでは17の窯元が並び、人形屋もにぎわいましたが、いまは伝統を継承する
堤人形工房は、ほんの2つほどしかありません。
昔は庶民のくらしのすぐそばにあったのに、継承がちょっと心配な、なかなか入手しにくい人形になってしまっています。